山梨県の日興上人誕生の霊地 蓮華寺

山梨県の日興上人誕生の霊地 蓮華寺

蓮華寺のご案内

蓮華寺の由来

 蓮華寺は七百年の歴史を誇る古刹で、日蓮宗に属します。開山は日華上人(1251~1334)で、日蓮大聖人のご入滅から間もない、永仁2年(1294)に創建されました。
 「慧命山」という山号は、いつも拝読する法華経『自我偈』の一節、「慧光照無量 寿命無数劫」(仏の智慧の光である慈愛があまねく注がれ、過去・現在・未来にわたり仏寿は不滅である)に由来します。寺号の「蓮華寺」は、「南無妙法蓮華経」のお題目にちなんだ、尊い意味をもっています。

開山の日華上人

(二十家阿闍梨寂日房日華上人)

 蓮華寺は七百年の歴史を誇る古刹で、日蓮宗に属します。開山は日華上人(1251~1334)で、日蓮大聖人のご入滅から間もない、永仁2年(1294)に創建されました。
 「慧命山」という山号は、いつも拝読する法華経『自我偈』の一節、「慧光照無量 寿命無数劫」(仏の智慧の光である慈愛があまねく注がれ、過去・現在・未来にわたり仏寿は不滅である)に由来します。寺号の「蓮華寺」は、「南無妙法蓮華経」のお題目にちなんだ、尊い意味をもっています。

開山の日華上人

(二十家阿闍梨寂日房日華上人)

 日華上人は、かつて鰍沢の地を治めていた、有力な秋山氏の出身です。秋山与一左兵衛源信綱を父として、建長4年11月15日に鰍沢の「二十家」という所で生まれました。後に、日蓮大聖人から「二十家阿沙梨」という称号を賜りましたが、それは上人の出生地にちなんだ呼び名です。もう一つの名を「寂日房」と云い、出家した当時から通常はこの名で呼ばれていました。

師と仰ぐ日興上人

(白蓮阿闍梨伯耆房日興上人)

 日華上人が仏門へはいる契機となったのは、日興上人が鰍沢の秋山家を訪ね、『法華経』の教えを説かれられたことです。実は、日興上人(1246~1333)も鰍沢の出身で、この地の有力者であった甲斐国大井荘の荘司・大井橘六の長子で、母は駿河國(静岡県)河合の豪族由比氏の女です。幼くして父を亡くした上人は河合の地に移り、間もなく蒲原(静岡市)の四十九院という、天台宗の寺院に入って修行されました。そのころ、日蓮大聖人は「立正安国論」の一書をまとめるために、程近い岩本実相寺を訪れられていました。日興上人は、ここで日蓮大聖人に教えを乞い、弟子の一人に加えれれ、伯耆房という房号と日興と名を賜りました。
 出家した日華上人は、師の日興上人とともに身延山に赴き、日蓮大聖人に仕えました。身延山中での日々は、日蓮大聖人から直接『法華経』の説法を聴聞する、深い感激の日々でありました。

日蓮大聖人のご入滅

 弘安5年9月8日、日蓮大聖人は病を養生するために身延を離れて、常陸の国(茨城県)に湯治をするために旅立たれました。富士川を北上し、翌9日は大井荘司入道の館に一泊され、富士山の北麓を回って武蔵国(東京都)を経て房総半島に道を選ばれました。病身の日蓮聖人のご一行には、日興上人と日華上人も随って旅をされました。ところが武蔵国池上に到着されると、日蓮大聖人はもう先に進むことが出来ず、10月13日の朝にご入滅になりました。

大井荘司入道御書

 大聖人が亡くなる1ヶ月余り前に、蓮華寺の前身である大井の荘司の館へ投宿されたのであります。当時の庄司は興師の父上ではなく、その縁戚筋の者であり、日華上人に導かれて日蓮聖人に帰依し入道となった、妻も信徒となり、孫も肥前房と称して日華上人の弟子となっています。
また、大井荘司入道は大聖人からお手紙を拝受しております。大聖人から直接ご文書を戴くと云うことは、入道が篤い信仰の持ち主であり、宗門と大聖人に多大な貢献をされたことが推察されます。大井荘司入道御書と称し、文書の内容は、入道が柿、酢、くぐたち(すず菜の薹)、土筆などの品々を供養されたことによせて、支那天台山の竜門を登る魚の例えをひかれながら、仏になることの難きことを述べられ、それ故身命を捨てての精進が肝要であることを説かれたものであります。

蓮華寺の創立

 日興上人は、日蓮大聖人の墓を守るために、身延山に常住されていました。大聖人の7回忌を済ませた正応元年(1288)に身延を退かれ、富士山の麓(富士宮市)に本拠を定められ、弟子の日華上人も師に従ってここに移られました。日興上人の終焉の地は37年間住持した北山本門寺であります。一日、日華上人は日興上人より「甲州鰍沢に先祖菩提のため、一寺を建立すべし」との師命を受け、、日興上人生家大井氏屋敷跡に一寺を建立しました。これが蓮華寺であります。日華上人の地元秋山氏の外護を受けての丹精でありました。
 蓮華寺創建の歳である永仁2年は、大聖人の第13回忌にあたります。日興上人はこの歳を期して日蓮大聖人への報恩と、新たな宗門の発展を願って、ゆかりの深い鰍沢の地に一寺建立を発願しました。
 日蓮聖人の御真筆曼荼羅は御本尊として弟子や信者に授与され、布教の最前線において法華経信仰のシンボルとして受容されてきました。六老僧上足第三の日興上人も数多くの真筆曼荼羅を授与され、我が弟子や信者に分け与えています。第一の弟子である日華上人授与の本尊の内、一幅が現在京都の本能寺に格護されています。
 それは、大聖人御真筆曼荼羅に日興上人が四行にわたって加筆されたものであります。
  「沙門日華与之」 「大本門寺重宝也」
  「甲斐国蓮華寺住僧寂日房者」 「依而日興第一弟子所申与之如件」